そんな私の言葉たち

その名の通り、現実を受け入れられない腐女子の大学生が、日々思ったことを書いていくだけの日記です。萌え語りはしません。主に書く内容は、悩み、人間関係、思想、本の感想など、全体的に暗くなる予定です(笑)

やっぱり言いたい!!GUCHI


グッチじゃないよ。グッチ裕三じゃ。彼はいい人だよ。彼のこと1mmも知らない私が彼を語るのは烏滸がましいが。


仕事に対して不満を抱いてる人が全世界の2兆%いると国際勤労なんちゃら委員会が発表した事は記憶に新しいですね。

この様に仕事に対してGUCHIを吐きたくなるのはポピュラーな現象だと存じております。そして例に漏れず私目もポピュラーなカテゴリに属するパーソンであります。恐縮です。


皆様、大変な事が起きてしまいました。この前振りを書いてもう満足致してしまいました。なんという事でしょう。

もうぶっちゃけGUCHIとかどうでもいいし、説明するのが面倒くなってしまいました。


しかし、初心を思い出してみましょう。

何故私が1年以上更新をしていなかったブログを開き、この様なことを綴っているのか。


仕事に対してGUCHIがあるからです。


この状況を「GUCHIが溜まる」と表現します…よね?私めは日本語が弱い困ったチャンですから、不安になりました。

あってる…という事にしましょう!


パンピーはGUCHIが溜まると友人に吐き出すか、グッチ裕三に吐き出すかの二択だと思います。

GUCHIを溜めるとGUCHIが溢れ出し、大変な事になります。

因みにGUCCIが溢れ出したら、私にください。売るので。

しかし、私は友人もいなければ頼みの綱であるグッチ裕三もいません。

このままではGUCHIが溢れてしまって全世界が私のGUCHIで覆いかぶさってしまい、世界恐慌よりも最恐でBADでCOOLな不景気が来て全世界がヒャッハーな世紀末してしまう。その危機感が私を行動させたのではないか!!この高い意識が私を突き動かしたのだ。

だがどうするか。「GUCHIを吐き出す」には、友人かグッチ雄三を作るしかない。

私に友人を作るなんて恐れ多い。そんな高尚な行為、私の様な賎しい人間がする事ではない。

ではグッチ雄三を作るしかない。よし作ろう。材料はえーと、水と炭素と…


待てよ…


グッチは、、、




グッチ雄三は、、、、




人間なのか、、、、、、、?





人間がハッチポッチステーション世界線にいれるか?ジャニーやミスダイヤモンドたちと話せるのか?ましてやエチケットじいさんと…?



…ッ!お、落ち着けよ、ハハ、そうだな、落ち着く為にハッチポッチステーションのOPを歌おうじゃないか!



ハッチポッチステーショォオン♪


ハッチポッチステーショォオン♪(ハモリ)


ハッチポッチステーショォオン♪*1


何でもあーりのっ♪


たのしっ駅っ♪


たのしいナカーマっ♪


全然電車は来ないケドー↑♪



(…え)



(何故電車が来ないのか)



(それを駅と言うのか?)



(只の構造物)



(…虚無)










虚無







や、辞めろ!違う!!グッチは人間だ!!あの世界にグッチは…うわああああ、脳内で勝手にエチケットじいさんの歌を流すなぁあああああ!!!





私が〜♪


噂の〜♪


エッチケットじいさん〜♪



(噂…だと)


(誰が噂したと言うのだ)


(私は聞いた事がない)



(シンプルにお前誰やねん)




兎にも角にも、私はグッチを造り出すことはできないと悟った。



皆様、大変な事が起きました。睡魔です。睡魔が私を襲ってきました。眠いです。

そしてそれは、この記事を読んでいる貴徳な貴方もではないでしょうか。え?当たり?イエーイビンゴー!


もうぶっちゃけ仕事の愚痴とかGUCHIとかGUCCI雄三とかどうでも良くなったので寝ます。


明日はいー日になりますよーにっ♪

*1:ハモリ

初☆リモートワークでクズ発揮!!ええ〜もしかして上司君から向けられる眼差しは所謂「KE・N・SE・I☆」〜?!


 題名の通りです。

 ぶっちゃけこれ以上書くことがなくて困っている。訳でもない。


 ご存知コロナウイルスで2月末に安倍総理が、全国の小中学校の休校を発表して以来、警戒体制は緊迫したものになっている。政府はライブや演劇などの自粛を求めると同時に、満員電車を避けるようリモートワークを推奨している。弊社も漏れずに、その推奨を受け、リモートワークを導入した次第だ。昨日。


 昨日言われた。

「明日から在宅ね」


部署を移動して1ヵ月とちょっと。現場で「使えねーブス」というキャラを背負って只生きる為と推しカプの為に金稼いで、割と高いプライドがズタボロになる前に辞めるって言ったら、募集してるから入ってみない?と言われてじゃー分かりましたーと返事一つで返した居酒屋店員。基本的なスペックはクズで、高校と大学で「意識高い系」に目覚めた扱い難いヤツと称される私。


まあ、無理だよね笑

仕事なんて笑


昨日告げられて予感はしていた。働かねーだろと。実際当たった。ヤダ、私の前世預言者じゃなーい☆


まず、自分は馬鹿だった。在宅ワーク=いつでも仕事すればいいと。

そんなはずはない。求められる日報という名の行動記録。

仕事を始めたらラインしなさい。その際に今日何をするか書きなさい。


deathよネー。


会社にいると監視されてるし誘惑も少ないから、まあ仕事やるんだけど、家にいると直接的な監視はないじゃん、だからさ、見ちゃうよねー。


Twitter


だから初手でミスった。13時くらいから働こーっと思ってたら、上司からのライン。


「PCつけてる?」


ツケテナイデスー。


そんで渋々、するじゃん仕事。でも結局見ちゃうよね。


Twitter


それを繰り返し、一応仕事したって状況になっちゃった☆


そりゃするよね。牽制。


つまり、その、自分の言いたい事は一言です。


「大変申し訳ございません。以後気をつけます。」

最近思うこと

約1年ぶりの更新となる。

 

お元気ですか。 

 

私は、大学を卒業し社会人になりました。居酒屋を運営する会社に就職したので、居酒屋の社員として、せっせと働いています。

 

職場の人たちは明るく、上司は優しくとてもいい環境に恵まれていると思います。

 

しかし、私はこう思う。

 

転職したい!!!!!

 

なぜかというと大きく2つあって、

一つ目がが、休みがないという点。

 

二つ 目が、会社への未来に対する不安感。

 

やっぱり、休みの日はパーリーナイトしたくない?いろんなところに行ったり、創作活動をしたり、色々したくない?

 

学生って、お金がないから時間があっても自分のしたいことができなかった(半分言い訳)

 

でも社会人になると、お金をやりくりしながら色々なことができるし、行ける。

経済的な余裕が増えることで、選択肢が見えてくる。

 

だから、定期的な休みと、まとまった休みが欲しいんです…!

 

でも居酒屋の店員だと休みがない…

そう思うと本当に嫌になってくる。だから

 

転職したい!!!!!

 

そしてもう1点

会社の未来への不信感。

 

なんというか、古いなって気がします。

というか、柔軟性がない。

私が内定式に出た時に感じたことは、

「役員の数が多い!!」

です。

つまり、ボトムアップがしにくく、意思決定が遅く感じます。

飲食業って、ある程度定石が決まっていると思います。だからそれに従っていけば、それなりに利益が取れる。

だから、なんというか管理的な感じがします。

ルールが多く、それに従うように従業員を管理する。新しいことよりも、どううまく従業員をコントロールするか。

この会社だけでなく、飲食業界の特徴なのかもしれませんが、管理職がやたら多い。店長クラスの人はエリア長、部長、常務、社長などに監視されている気がします。

 

監視と言う感覚がめっちゃするんです。。。

 

いえ、仕事ですし管理することは重要です。

しかし、従業員の管理ばかりに目を取られて、お客さんの動向に気づいていないのではないかと感じてしまうのですよ。。。

 

なんだろう、この漠然とした不安は。

 

会社も大きな規模になって、新しいことに手を出すのが難しくなっているのではないかと思います。

 

うーん、旧来的すぎて効率悪いことしてる感じがする。

 

この非効率さ、なんだろう、この漠然とした不安は。

 

でも感覚的にこの会社は危ないと感じます。

 

 

まぁ、つまり

 

転職したい!!!!

 

 

 

 

「京大医学部で教える合理的思考」を読みました。

 

 

 久しぶり、というよりもやっと2回目の本の感想シリーズ更新です(笑)

 

 夏休みで、8月の後半は友達との予定がありません(泣)しかもバイト漬けで、半引きこもりになります。

    しかし、いい機会なので、読み終えてない本を読みます。それがめっちゃあるんですよね(^^;)

 

 それに、いい加減に、論文の先行研究について調べないといけないので、活字や文章を読むこと(書くこと)に慣れるためにも読書をしていきます。

 

 未読の本が積み重なった原因は、本の読み方が私に合っていなかったためだと思います。私は通勤の電車の中でちまちま読んでいたのですが、時間を作って、「何ページは絶対に読む」と決めて読んだ方が、集中して読めるなと気づきました。

 

 それに適した場所がお風呂かなと。私は重度の携帯依存症で、暇があればすぐに携帯を見てしまうのです。感動した一文があったらツイートし、そのままtlを見る…みたいな感じで、集中が持たないんです。でも私の携帯は5sで防水加工はしていないので、お風呂には持っていけず、本に集中できます!だからお風呂でゆっくり読書して、読み終えていきます!

 

 さてさて、前置きが長くなってしまいましたが、

今回は中山健夫さんの

 

「京大で教える合理的思考」(日本経済新聞出版社

 

を読みました。

 この本は、私たちの身の回りにある情報をもとに、最も合理的に意思決定するためには、どのようにすればいいかをEBM(evidence based medicune=根拠に基づく医療)の考え方に沿って、わかりやすく伝えられています。

 

私が面白いなと思ったのは3点あります。

 

・相対値と絶対値

・因果の逆転

・PECO

 

以上3点です。これらについて書いていきます。

 

 

絶対値と相対値

 「新開発の痛み止め薬を発売。効果は2倍の効果!」このような宣伝文句を見て、皆さんはどう思うでしょうか。私は、よし、買った!って思いました(笑)

 私のようにこの宣伝文句だけで行動に移すまではいかなくても、皆さんも「すごく効く薬が開発された」と思うと思います。

 ではこのように数字で表されたらどうでしょう。

「20人/100人の効き目が40人/100人になった。」

 表現は違えど、言ってる内容は同じです。効果は2倍になったのです。しかし、皆さんはこの表現を見ることで、同じく「2倍」と思うでしょうか。きっと、「2倍」のイメージが変わったことと思います。それどころか、60人/100人は効かないんじゃん!とがっかりした人も少なからずいるでしょう。

 このようにイメージで飛びつくのではなく、「何が2倍になったのか」確認することが肝心だと、筆者は訴えています。

 この薬の場合、有効性が20%から40%になったことを、2倍になったと考えるのか20%増加したと考えるか、いうことです。

 前者の宣伝文句の表現は、「相対値」を切り口にした表現であり、後者は、「絶対値」を切り口にした表現と言えます。

 相対値とはAとBを相対的に比較した数値、別の言い方をすると「比」のことです。この場合、有効性が2倍になったという比較ですね。

 それに対し、絶対値とは全体の数値を考慮して、絶対的に言い切れる数からの比較です。この場合有効性が20%から40%になり、20%増加したという比較です。

 この2つの表現は決して嘘をついていないというのが怖いところです…

 このような数字を使った表現を見て、相対値か絶対値かを考えずにそのまま鵜呑みにすると危険ですね。私は、鵜呑みにしやすいタイプなので、気をつけます(〜〜;)

 

因果の逆転

 原因と結果の両方を決めれないのに、片方の因果関係を誤って強く言ってしまうことを因果の逆転の落とし穴というそうです。

 例えば、友人とちょっとしたことで喧嘩に。それがきっかけで口が効かなくなったとしましょう。そうなった場合、多くの人は

「くだらないことで言い争いしたから(原因)」→「仲が悪くなった(結果)」

と考えてしまいがちです。そして「普段からくだらないことで言い争いしないようにしよう」と心がけるかもしれません。

 しかしもしかしたら因果関係としては違う別の見方もできるかもしれません。

「もとからギクシャクしていたから(原因)」→「くだらないことで言い争いになった(結果)」

という可能性も出てきます。そうすると、ある人との人間関係で「言い争いはしない」という心がけも期待ほどの効果は得られないかもしれません。

 

 この例えを読んだ時、私の生活の中でも起こりうるなと思いました。いや、もう実際に起こっているな。非常に身に覚えがある(^^;)

 因果関係を見つけることは容易ではありません。因果関係を決め付けるのではなく、一つの思い浮かぶ原因を過信せずに「原因の一部に過ぎない」と考える方が、良いかもしれませんね。

 

 

「PECO」(ペコ)

 疑問(仮説)を明確化し、自分の言いたいこと、やりたいことについて頭を整理しようとするとき、役に立つのが「PECO」形式(ペコ・フォーマット)です。

 これは、目下の卒論で最初の難敵、「仮説」を整理するために使える!と思ってため、備忘録としても書き残します。

 PECOは、「人々(people)」「曝露(exposure)」「比較(comparison)」「結果(outcome)」という頭文字からできています。

 PECOの内容は次のとおりです。

 

 

P 「誰を(何を)対象に」

E 「何をしたら」

  (どのような要因を持たせるか)

C 「他の何と比べて」

  (要因を持っていない対照群との比較)

O 「何がどうなっているか」

  (EとCを評価する具体的な指標)

 

 

 これら4つの視点で、仮説を明確化し、検証すれば原因と結果に何らかの関係があることが明らかにできるそうです。

 

 

最後に

 この本が度々訴えているのは、情報は「完璧はない」ということです。いくら科学的に検証されていると言っても、信憑性が100%と言えないのです。

     だから、情報を白か黒かではなく、灰色として捉え、それがどのくらい白に近い灰色か、それともどのくらい黒に近い灰色かを、見極めてそこからどのようにして意思決定につなげていくかが大事であると。そのための合理的な思考であると訴えています。

 

 自分は、情報を一面的に捉えてしまうし、完璧を求める節があります。しかし、完璧や絶対というのはそうありません。だからこそ、いろいろな情報を集め、自分の意思決定に対して、情報を様々な視点で見て、それに筋を通していくことが大切なのだと思いました。

 

 そしてこれが、大学生でやってきたことであり、反省点でもあるなと(笑)

 

 ほとんどの場合が情報不足で、自分の意思決定を誤りました。まずは情報を様々な視点で集めることが大事だと思います。しかし、情報はあくまでも灰色です。インターネットの場合は、嘘の情報が含まれている場合も沢山あります。だから、それを見極めたり、筋を通すことが大切なのだと思います。

 

 この本は意思決定するために灰色の情報をどのように根拠として組み立てていくかのテクニックがちりばめられています。それらのテクニックを使い、合理的に判断できる人間になっていきたいです!

 

 

 

 

 

 

 

 

「自分探し」という呪縛

 

 

 ご無沙汰です。久しぶりにブログを書こうと思います。

 今日は、ショッキングなことがありました。ショッキングというよりも、久しぶりに感情を揺さぶられた今の私にインパクトが強い格言を聞きました。

 

「“自分探し”ではなく“自分なくし”」

 

 鳥肌が立ちました。私はここ最近、プロジェクトに就活と自分を見つめる機会が多くありました。その度に、自分とは何なのか分からなくなる感覚が呼び起こされました。自分とは何なのか。自分とはどんな人間なのか。その度に出てくる答えは、「分からない」でした。この「分からない」では自己PRは書けないじゃないか。だから、「自分探し」がここ最近のテーマでした。

 でも、分からないことに対してだんだんストレスを感じるようになりました。 

 それと違和感もありました。この「21年」という人生経験の中で自分を知るには限界があるのではないかと。何か経験してからじゃないと分からないではないかと。もやもやしていました。

 そんな中でこの言葉。「“”自分探し“ではなく”“自分なくし”」自分という天井、境界線を決めずに、ときめきを大切にして行動しなさい。というメッセージが込められています。そしてこんな格言も聞きました。

 

「意味の呪縛から解放しろ」

 

 私の違和感の答えは意味の呪縛だったんだと思います。今、意味が求められている世界で、最初から意味を問われます。しかし意味はあとから出てきます。経験を積んで、その経験を振り返った時に見えてくるのだと思います。

 スティーブジョブスのいう「コネクティング ザ ドット」とはまさにこれだと思いました。

 点は経験で、線が意味なのではないかと思います。点が多いほど意味が出来てくる。そうジョブスは言いたかったのだと思います。

 

 今日は格言を聞けてスッキリとした気持ちです。もう少し、自分のことを書きたいので、また明日も更新したいと思います。

 では、また明日。

自分のことに気づく就活

お久しぶりです。

元気に就活してます!!

バイトを週1に減らし、授業数も減ったので、とても穏やかな日々を送っています。

今迄は夜12時近くに帰る生活が続いていたので、遅くても夜7時には帰れる生活がこんなに穏やかだとは思いませんでした。かといって何もやる事がない訳ではないので、何もやることがない不安はないです。とても充実しています(^∇^)


  ただ、やはり就活生ですので、就職が決まるかは不安です。漠然とこのまま就職が決まらないんじゃないかと思ってしまいます。


  しかし、就活をする中で気づきもありました。就活とはどういうものなのかという外面的な事と、自分とは何なのかという内面的な事です。今日は特に自分についての気づきを書こうと思います。


  面接をする時、エントリーシートを出す時、必ず自己PRが必要です。

  でも私は自己PRを中々書けないし、言えないです。何故か。大学生活を何事にも中途半端に済ませていたからです。

  私は決して、何もしなかった訳ではありません。特に3年生の時は色んな人に会ったし、色々な所に行って、関わって来ました。

  しかし、何か身についたのかというと微妙です。得意な事もないし、コネクションも作れてないし、スキルもない。あれ?結局自分は何をやって来たんだろうと思う訳です。

  3年生の時の原動力って、「ゼミ生よりも出来る奴になる」「ゼミ生なんかにならない」っていうのが大きかったです。無意識のうちにゼミ生を見下していたんですね。ゼミ生と同じにはなりたくなかったので、外との繋がりを求め、動きました。

  でも、よく考えればゼミ生の事をきちんと見ていないのに、動いていないと決めつける事自体おかしかったですね。ゼミ生はゼミ生なりに頑張っていてそれを後半で気づいてかなり落ち込みました。結局自分は何も身についていないと。

  それに私の原動力は誰かと比べなくてはならなかったので、自分がどうしたいのかという方向性の軸がしっかりしていなかったです。結局自分は何をしたいのだろう、自分は何だろうという問いをいつもしていました。今思い出してもつらたんですw


  まぁ、それを経て何を学んだかというと、やると決めた事を集中して最後までやらなくては身につかない、という事です。

   自分には決めるってことと最後まで(目標を設定してその目標達成まで)やり切るという事が出来てなかったみたいです。だからこんなに中途半端なんだなって思います。

  だから、まずは決めるといことをやっていこうと思います。小さな事でいいと思います。「この時間はこれをやる」という簡単な事でも決めてやっていこうと思います。



  なんだか、自分ダメダメみたいな記事になってしまいましたw

  でも、自分はやってきたし、考えてやり込みました。結果として上手くいかなかったことでも、やってきて学びました。これは紛れもない事実ですから、否定はしないです。

  大切なのは、過去を踏まえてなお前を向くことだと思います。

  それに、人は出来ないと思ったら出来なくなる生き物なので、ポジティブに考えて自分の自己PRをまた改めて探そうと思います。


  今日も頑張りますぞよ!!










「イシューからはじめよ」を読んで

 このブログ説明に本を読んで本の感想を書くと書かれてありますが、ようやくそれを実行できそうです。

 

 「イシューからはじめよ」 安宅和人

 

 この本は、約1年以上前にゼミの課題図書として予告されてあったため買い、その数日後に違う内容の課題図書になってしまい、買ったはいいものの読まず終いに。それから数ヶ月後の去年の12月に、本棚をあさっていたら出てきたので、それからコツコツと読んで、気づけば読み終わるのに4か月近くかかってしまいました 笑

 

 そんな本書なのですが、読んでみての感想は、

 

    「もっと早くに読めばよかった!!!」

 

 その一言に尽きます。

 

 この本の説明を手短にしておきますね。この本は、知的生産を行う際の思考法(方法論というようなハウトゥ本とは違いますがうまく言語化できないです。)の本です。著者が言うには、知的生産をするにはまず「何に答えを出すべきなのか」がはっきりしていないと、仕事の価値ある結果が出てこないのだそうです。その「何に答えを出すべきなのか」はすなわちこの本のタイトルにある「イシュー」です。そのイシューの見極め方やイシューから、そのイシューの結論の伝え方までを「仮説トリブン」「アウトプットトリブン」「メッセージトリブン」という順で書かれている本です。

 

 すごくわかりにくい説明になりましたがご愛嬌です。

 

 

 私は、「社会課題を解決するビジネス案」を作るというプロジェクトを行っていましたが、多くの時間を「何が課題なのか」に取られてしまいました。そしてそれを思惑しすぎると、「結局何を自分たちはやっているのか」という途方もない状況になっていきました。その経験があるので、なるほどこうすればよかったのか!と思いながら読むことができました。

 しかし、本の後半は部分は何となくわからないなと思うところが多かったです。それはやっていって腑に落ちるところなのだと思います。

 私は幸運なことに、「卒論を書く」という機会があるため、そこでこの本の実践をしてみようと思います。

 

 本当はこの本を図でまとめるということまでしたいのですが、それができそうにないので、とりあえずは、いいなと思った文書を引用やまとめをしてみようと思います。完全に自分用の内容ですねw

 

 

バリュー度の高い仕事=解の質とイシュー度の双方が高い領域

シュー度=自分の置かれた局面でこの問題に答えの出す必要性の高さ

解の質=そのイシューに対してどこまで明確に答えを出せているかの度合い

 

相談する相手を持つ

シューを見極めるためには「実際にインパクトがあるか」「説得力あるかたちで検証できるか」「想定する受け手にそれを伝えられるか」という判断が必要になり、ここにはある程度の経験と「見立てる力」が必要である。

強引にでも具体的に仮説を立てるのが肝心

シューに答えを出す

良いイシューの3条件=「本質的な選択肢である」「深い仮説がある」「答えが出せる」

 

解の質を高め、生産性を大きく向上させる作業が、「ストーリーライン」作りとそれに基づく「絵コンテ」作りだ。この2つを合わせて「イシューの分析(イシューアナリスト)」という。これはイシューの構造を明らかにし、その中に含むサブイシューを洗い出すとともに、それに沿った分析のイメージ作りを行う過程だ。

「why」の並び立て

空・雨・傘

 

絵コンテ作りで大切な心構えは「大胆に思い切って描く」ということだ。「どんなデータが取れそうか」ではなく「どんな分析結果が欲しいのかを起点に分析イメージを作る。

 

分析とは比較、すなわち比べること

比較

構成

変化

 

答えを出そうとしている論点を明確に認識し、右なのか左なのか、それに答えを出すのだ。

各サブイシューについて検証する時はフェアな姿勢で検証しなければならない。

回転数とスピードを重視する。

「受け手にとって十分なレベル」を自分の中で理解し、「やりすぎない」ように意識することが大切だ。

 

論理構造を確認する

流れを磨く

エレベータテストに備える

 

シューに沿ったメッセージがある

タテとヨコの広がりがある

サポートがメッセージを支えている

 

こんな感じですかね。本当自分用w

本書のあとがきにも書かれていますが、やっていってイシューがわかっていくものだと思います。だから、私も卒論を書く際に、これらのことを意識しながら、本を片手に頑張っていきたいなと思います!

それではまた!!