そんな私の言葉たち

その名の通り、現実を受け入れられない腐女子の大学生が、日々思ったことを書いていくだけの日記です。萌え語りはしません。主に書く内容は、悩み、人間関係、思想、本の感想など、全体的に暗くなる予定です(笑)

調べるって難しいから、根気強く、方法を変えながら、見返しながら

 今もねぇー、ゼミのプロジェクトで調べてるんだけど、全然はかどらなくて。だから息抜きに。そういえば書いてなかったなぁーって思って。

 

今日は「調べること」について。

調べることと聞いて、まず私たちが思いつくことが「ネット検索」ではないだろうか。私も今やっていることはネット検索を使って調査をしている。

そこで難しいと感じるのは、何が正確な情報で、何が有益な情報かの選別だ。

何が正確な情報かは、言わずもがな。今はたくさんの情報が流出しているので、当然その中には、出鱈目のデマ情報もあるわけだ。そんなデマ情報は、専門性があればあるほど難しい。私たちが信ぴょう性があると判断するのは、発信する人物であったり、発信元だったりする。だから、数字が関わってくるものは、厚生省や総務省など国や地方公共団体が発信しているものを信ぴょう性が高いものとして位置付け、できるだけそれを検索している。

でも、市場規模だったり、発売数など、少し具体的な情報が欲しい場合だと、それを研究している団体や企業を検索しなければならないため、かたっぱしから検索欄の一番最初に出てきたページの記事の引用をたどっていき、自分で信ぴょう性のあるものかを決める。だから、ネットで検索して調べるというのは、何気に時間がかかる。

そして有益性というのは、まさしく上記で述べた記事のようなことだ。直接的には関係ないように見えるが、間接的につながりのあることだ。

例えば、人口の統計のようなマクロ的な情報ではなく、誰がどこに何人集まっているかなど、ミクロ的な情報も必要となってくる。時にそれはブログだったり、FBページだったり個人が発信する情報だったりする。信ぴょう性は低いが、その情報を経由して重要なデータを見つけることができるので重宝している。だから、信ぴょう性がない=有益ではないではないと感じる。

つまり、正確さ、有益性を判断するというのは、時間を要するものだ。だからネット検索という方法は、根気強く続ける必要があると思う。

 

調べることは人に聞きに行くというのも入っていると感じている。

私たちはフィールドワークのようにネットで発見した団体や個人にあって、直接聞くということもする。いわゆる現場を知るてきなことだ。

調べるって作業は、調べてたいこと、目的によって、調べたことがどのような関係性、位置付けであるかを構造化させて作業だと思っている。

現場は俯瞰てきに見れてない場合が多い。だからこそ、現場で起こっている要素を一つ一つ拾い上げて、どういう位置付けで構成されているかを検討しなければ、方向性がぶれてしまうこともある。

この作業こそ最も大変で時間がかかる。情報を再編集し、時に新しいことを生み出さなくてはいけない。

だから、見返すというのは大切だ。現場で聞いている時よりも持ち帰った後の方が、明確に見えてくる。そしてまた分からないこと、調べなくてはならないことが見えてくる。そうやって知識と知識がつながりを見せて、自分の頭の中で立体的に構造化されていくのだと思う。知識を立体的に知るというのは大学でないとできにくいと感じているため、自分は調べるということを頑張っていこうと思う。

 

以上!!息抜きおーわり⭐︎